ホテルのサロン

 何かの話から、ホテルのサロンは、今、柔道について論じ合つてゐる。 一人のロシヤ婦人――それは、横浜に二年間ゐたといふ女――は日本人のすべてが柔道を心得てをり、指一本で相手を投げ倒すのだと主張してゐる。 日本人尽くがさうであるとは信じられないが、少くとも軍人は柔道の達人であるに相違ない。M少佐はもちろん、その通訳も、多分、ああ見えてもやることはやるんだらう――これは、そのロシヤ婦人の傍を片時も離れない禿頭のルウマニヤ人である。 指一本で投げ倒されてたまるものか。両手でかかつて来ても、俺なら大丈夫、あべこべに奴等の一人や二人、ねぢ伏せて見せる。かういひながら、腕を差しだしてゐるのが、例のイタリイ士官だ。 僕は、その時丁度、その前を通りかかつた。「ムツスイウ・K、一寸、ここへいらつしやい」「なんですか」と、生返事をして、空いてゐる椅子に腰をおろした。「さあ、僕のこの腕を、君の柔道でねぢつて見たまへ」マカロニイは、婦人たちの前で見得を切つた。「折れてもいいか」僕は笑ひながら訊いた。「およしなさい、危ないから」ロシヤ婦人は慌てて留めた。「そんなら、かうしてゐるから、どつちからでも押して見給へ。君の力で僕の身体が動いたら、どこででもお目にかかる」 さういつて起ち上つた。 僕は片手をその胸に当てて、ぐいと突く真似をして、その拍子に、うしろから、一本の指で、腰のあたりをひよい[#「ひよい」に傍点]と押した。ドツと女たちが笑つた。大尉は、両手を差しだして泳ぐやうに前へつん[#「つん」に傍点]のめつた。          ★

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