セシル・ソレル嬢

 この覗眼鏡はそんなに珍らしいものではない。ただ、当分用がなささうだから、どこか邪魔にならないところへしまつておかうと思ふのである。 こはれたり、狂つたりしてゐるところがあるかもしれない。殊にほこりだらけだから、手を汚さないやうにして見て下さい。          ★ セシル・ソレル嬢といへば、パリ人ならだれでも知つてをり、アメリカ人と日本人とに多少名前を覚えられてゐるコメディ・フランセエズの幹部女優であるが、婆さんの癖に器量自慢で、いつもコケツトの役を得意になつて演じてゐる。 鼻が高すぎるので、舞台でも、サロンでも、写真をうつす時でも、きまつて天井を見てゐる。これは僕の発見だ。 この女、ある朝、寝床の中で、コオヒイかなんか飲みながらコメディア(演芸新聞)をひろげると、二段抜きで、だれかの漫画が出てゐる。お化のやうな女だ、眼尻のしわが年を語り、偉大なわし鼻と、あごのしやくれ方に著しい特徴がある。おや、だれかに肖てるな、と下を見ると、驚いた。正しく、コメディ・フランセエズ――セシル・ソレル嬢ではないか。 丁度、その日から漫画の展覧会が開かれるといふことは聞いてゐた。その展覧会に出品された自分の絵姿だと気がついた時、セシル・ソレル嬢は、寝台の上で歯ぎしりをした。 彼女は、卓上電話を取り上げて、知り合ひの弁護士を呼びだした。「あ、もしもし、あんた、今朝のコメディア見た?」 それから、彼女は、漫画家Bを相手取つて名誉毀損の訴訟を起すことにした。 翌日の新聞は賑はつた。――賠償金十万フランを請求――セシル・ソレル嬢曰く「女優は美しいといふことが義務なのです。いいえ、美しい権利があるのです」

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